十津川の森

十津川の森の魅力

朝の魅力

朝の風景

3月から5月頃は、ウグイスの声で目覚めます。谷間にこだまする声も「ホーホケキョ」から、「ケキョケキョ」と鳴き声が変わる頃には、夜明けも早くなり、夏の訪れを感じさせます。
しんしんと冷える冬の朝は、いつの間に降ったのか、窓を開けると一面の雪景色で畑も山も見分けがつかないほど一夜にして別世界が訪れます。
その雪も夕方にはあらかた溶け、何事もなかったかのような元の静かな山が現れます。


夜の魅力

ネオンもない、電車もない、騒音もない、街頭すら疎らな十津川の夜は、山の稜線がぼんやりと見えます。
晴れた日の夜は満天の星空でも、山によって空が阻まれ、地域毎に見える星はまちまちです。そんな星座観察も魅力です。


墨絵

冬の夕刻から振り出した雪は、日が暮れると木々の梢や車道にまでしっかり積り、対向車もない山道を車で行くとヘッドライトの先に一人だけの贅沢な「墨絵の世界」が広がります。


巨杉群

巨杉群

玉置山には、立派な巨木の群れがあります。それらの杉は、実が落ちて育成したもので、数百年という時を隔て巨杉群となり、私達に先人の思いを語りかけてくれます。幹に触れると暖かく、その地の空気を存分に吸い込むと、身体の中にエネルギーが満ちていきます。
玉置山には、樹齢3,000年を超えるといわれる大杉(御神木)もあります。


位置

昔は山の尾根伝いに集落がありましたが、便利さを求めて人々は山を降りました。山に上ると、忘れられたような古道を発見することがあります。
古い道標や神の祠に古人の足跡を見つけることも森の魅力です。

畑

山の尾根から里に降りたのは、人間ばかりではありません。獣達もだんだんと里近くに根城を構えるようになり、夜な夜な畑に出没して作り手のお年よりを困らせます。農薬も使わない野菜は、山の獣たちにもおいしい食物なのでしょう。
今は、張り巡らした囲いや折の中に人間が入って作物を作ります。そんな、おじいちゃん、おばあちゃんの苦心と苦労の結果が、山の元気な野菜です。


狼の絶滅とともに鹿の個体数が増えています。 捕食者のいない山では、餌の奪い合いが進み、ふもとの里に餌を求めるのは、鹿ばかりでなく、猪、ウサギ、狐、狸、など様々な山の獣たちがいます。
広葉樹や草の生える豊かな森林を取り戻すことは、獣たちにとっても人間にとっても魅力ある話です。


山の暮らし

森の暮らしの風景

山の暮らしは木がいっぱい。昔ながらの手作業による田植え、小さな田んぼに大型機械は必要ありません。おじいちゃん、おばあちゃんがつくる米づくりの道具にも木材が利用されています。
はで場(稲干し場)も木材、桶やもちつき道具も皆木でできています。
杵と臼でついた餅は、機械のよりずっとおいしいですよ。


盆踊り

盆踊り風景

8月13日から15日までのお盆は山や川に入りません。
村のあちこちで盆踊りを行ってご先祖さまをお迎えするのです。


小辺路

集落から集落までの移動のため、山の尾根伝いに整備した道がつながり、街道になりました。

小辺路は、海辺の大辺路、比較的ゆるやかな中辺路と違い、1,000m級の急な峠をいくつも超えなければならない、いつ獣に出会うかも知れない、旅人にとっては、近いけれども危険な道でした。大辺路、中辺路、小辺路の大、中、小は遠い・中くらい・近いの意味で、小辺路は、観光を楽しみながらのゆるやかな道を選べない、急ぎの旅人や商人など庶民が通った暮らしの道であったといわれています。

平成16年(2004年)7月7日、奈良県・和歌山県・三重県にまたがる3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)は、世界遺産(文化遺産)として登録され、小辺路にも観光客の皆さまに訪問いただけるようになりましたが、かつて、宿も少ないこの道を行く旅人は、民家の軒下や土間に一夜の宿を借り、囲炉裏端で家人とともに語りながら夜を明かしたのでしょうか。

村の人々も小辺路を通って嫁いだり、町に山野草などを売りに行ったりしたようです。現在は、車道ができ、ずいぶん便利になりましたが、小辺路を歩きながら当時の暮らしに思いを馳せると、苦しい時代にも「めっきゃあないけど、まあ、あがろうらよ。(何にもないけど、家にあがって休んで行ってよ。)」と道行く旅人に一夜の宿を進めた優しい主の声が聞こえてくるように思われます。


つづくりも はてなし坂や 五月雨(さつきあめ)

小辺路の途中に芭蕉門下十哲の一人、向井去来の句碑があります。

昔は人力で道を付け、補修を繰り返しながら保全していました。いまでも村には、自分たちの手で道普請(道の草刈・整備等)を行うしくみが残っています。

五月雨の中、果無坂を行く古人は、普請する人々の姿に思いを寄せつつ歩みを進めたのでしようか。この句碑は、小辺路を行く旅人を見守るように十津川村桑畑地内、果無峠に赴く道中に佇んでいます。


七区の村

十津川村は、かつて十津川郷として55の村があり、それぞれの村を長(おさ)が統治していましたが、明治の大合併により、中野村、花園村、三村、四村、東十津川村、西十津川村の六か村に合併されました。

区毎に長ができ、55の村は大字となり、それぞれを総代が管理するようになりましたが、その後、6か村を更にひとつの村に合併することとなり十津川村が生まれました。
6つの村は、中野村を中野村区、神納川区に分けて二区となり、花園村を二村と改名し、十津川村、中野村区、神納川区、二村区、三村区、四村区、東区、西川区の7区が生まれました。区は元は村であり、十津川村の人々は生まれた土地、嫁いだ場所でずっと住みつづけることが多いため、住んでいる大字や区に対し、強い誇りと愛着を持って暮らしを営んでいます。
それぞれの区、大字ごとの暮らしに息づく森林文化も十津川の森の魅力です。


pagetop