十津川村(十津川郷)では、足の白いオオカミを白足袋をはいた「おくり狼」と呼んでいました。
日本狼は残念ながら絶滅種となり、果無峠(十津川村桑畑地内)で発見されたものが最後だともいわれています。紀伊山地の奥深い山の中で、ひとりぼっちでひっそりと最後のときを迎えたのでしょうか。
十津川郷の狼は夜目に白い足で山道を行く人を送り届け、静かに森へ帰っていきます。
ここでは、十津川郷の昔話より、「おくり狼」の話をお届けします。
わしが二十五、六歳の頃、小森郵便局に勤務していた時の事であった。
いつでも、寂しいことの知らないわしが、何としたことか、戦場に行って来てからと言うもの、特に夜中は寂しくて寂しくてたまらなくなった。
ある夜、大野の森の氏本さんという家に、別紙配達の電報がはいったので、どうしても行かなくてはならないことになった。
わしは、一人ではどうしても寂しいので、家内を連れて行くことにした。
たしか、夜の十二時過ぎだったと思う。小原滝峠から、芦廼瀬川(あしのせがわ)沿いに細い道を上り、峠という家を過ぎて、五百米(メートル)も行ったかと思うとき、一匹のこげ茶色の犬が前方を歩いている。家内に「寂しいので丁度よかったのう。」といいながら犬に「来い来い。」と呼びかけたが、振り向きもせず、どんどんさきに歩いて行くだけであった。犬との距離は約二十米(メートル)位、懐中電燈の光でも、はっきりと見える距離で、大野の森(地名)の少し手前まで一緒だったが、急に犬の姿は見えなくなった。
「あ、犬がおらん。ありゃあ、森のどこかの犬だったんだろう。」
と家内と言いながら氏本さん宅を起こし、電報を渡し、帰りを急いだ。
先程、犬が姿を消したあたりへ来たら、また二十米(メートル)位さきに、さっきの犬が現われた。帰りも前と同じようにして、峠の家の近くまで来たとたん、姿を消してしまった。家内に「ふしぎな犬もいるのう。」
と言いながら、その夜は寂しくもなく帰った。
翌朝、局長さんに昨夜の犬の話をしたところ、
「ああ、それはきっと送り狼だよ。これまでにも何度か電報配達人を守ってくれたことがあるんだよ。」
と話してくれた。送り狼というものが、おるとは聞いていたが、自分が本当に出会うのは初めてだった。
送り狼は、白足袋(しろたび)をはいていると聞いていたが、そのとおりで、足首から下は真白で、暗闇でも足もとだけは良くわかった。
(当時の局長さんは山本亀秀さんだそうです。)
昔、むかしの事であった。
道は樹木に覆われ、トンネルのようだった。また、落葉も厚く道に積もっていた。当時の履物は、藁草履(わらぞうり)か鞋(わらじ)ぐらいしかなかった。山道を歩くと落葉をはね上げ、バサバサ音を立て、後から何かがついて来る感じだったそうな。
ある日の夕方、祖父は帰りが遅くなり、提灯(ちょうちん)に火をともし、濁谷(にごりだに)の近くへ来た時、後ろで何かの音がするので、立ち止って振り返ったが何もいない。姿も見えない。きっと草履に落葉がついてくる音だと思い、また歩き出した。
すると、また音がする。だんだんと近寄って来たかと思うと、大きな音を立て何かが祖父の横を通り抜け、先に出た。見れば、犬よりもやや大きなけものであるようだ。一瞬、ぞうっと身の毛がよだった。大声をあげようと思ったが、声がまるっきり出なかった。
この時、「ああ、おくり狼だ。」と直感したそうだ。息をつめて先を急いだ。
ところが、狼は前になり、後になりしてついて来る。
あわててつまずいて倒れでもしようものなら一気に餌食(えじき)になる、と聞いていたもんだから、生きたここちはしなかったそうだ。「がまんがまん。」と気を沈めて、注意深く足元を照しながら歩いた。
家の門まで、やっとたどりついた。振り向くと、狼はこちらをにらんで立っているのである。
はいていた草履を、そっと脱いで、「ご苦労さん。」と言い、狼に投げてやったそうだ。
狼は、草履をくわえて闇の中へ姿を消していった。
祖父は真青(まっさお)になって、家の中に跳び込み、家族にこの様子をしどろもどろに話し、一気に冷酒を飲みほして、気を取り戻したそうな。
くわばらくわばら。
祖父(定吉)が十六歳の時のこと。家の用事で旭の迫(せ)から篠原(しのはら)へ行って、その帰り道の出来事だった。
行きは成畑山(なりはたやま)越えして一気に篠原へおりた。用をすませて帰りは、舟の川を下って沼田原(ぬたのはら)越えして長殿、栂之本(とがのもと)を通り中谷へ着いた時、日はとっぷりと暮れていたそうな。
中谷の在所から尾根(山の高いところのつらなり)づたいの横道にさしかかったころから、何ものかが後からついてくる様子。確かに自分の足音以外に別の足音がする。なんだか背筋がぞくぞくし、血の気が引いて髪の毛が立つ思いで、思わず足が速くなった。
提灯(ちょうちん)を放って、駆け出したい気持ちだったそうな。
しかし、腹を決めて後を振りむいたら、提灯の薄暗い明かりの向こうに、二つの大きな目が光って見えた。
「おくり狼だ。」と直感した。話には聞いていたが、実際に見ると怖くてこわくて仕方がない。かと言って、駆け出すわけにもいかない。どうするすべもなく、体中、脂汗が出て、体は硬くなり冷えてきたように思えた。
いつ飛びつかれるか、今、食われるかという思いにかられながら、やっと迫の在所が見える峠に着いたそうな。
やれやれ一安心と思った時、ふと背中に鉄砲を背負っていることに気づき、急いで荷を下ろし、鉄砲を空へ向けて一発ぶっ放した。
峠の下には叔母の家がある。
鉄砲の音に驚いて跳び出てきた叔母は、「定吉か、どうした。」と言った。
「どうもないがおくり狼に送られた。」と言いながら、後を振り返ったときには、もう狼の姿はなかったそうな。
十津川の森には、不思議な話がまだいっぱいあります。これらを森のガイドたちがご案内します。
果ての二十日(12月20日)に果無峠に出没。人を取り殺すという怖い妖怪の話
山中に出没し、道行く旅人を脅かす妖怪の話
異次元の世界への入り口となる深い淵のある岩場の話
もっとあるよ、不思議な話 → 「十津川郷の昔話」架け橋ネット
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